自分の興味のある医学論文を見つけ、その内容を英語で発表するという(面倒な)授業のために、最近色々面白そうな論文を漁っている弓矢です。
↓↓医学なのかは分からいけど、なんか面白そうなの見つけました↓↓
タイトルは
”Is That Me or My Twin? Lack of Self-Face Recognition Advantage in Identical Twins ”
訳すと、
「自分か?相方か?一卵性双生児における、自己顔認識の優位性の欠如」
といったところか。
ふ〜ん。あ、そう。
そういえば、ゴールデンウィークだな〜。5/5だな〜。
あの子たち(某五つ子)の誕生日だな…
ほっ!!
というわけで、くだらない考察をやりたくなったので、雑感を書き記していきます。
テーマは「中野家、自他の区別できない説」
論文の概説
解説と言っても、実はこれ2017年のイグノーベル賞受賞ネタなので、ご存知の方も多いかもしれない。以下、内容を背景(introduction)、手法、結果で項立てて簡略に記す。
背景
・人は他者よりも自分の顔を瞬時に認識できる。
・これは正立顔、倒立顔両方で言える。
・人は正立顔では全体的に、倒立顔では局所的に認識する。
・人は倒立顔より正立顔の方が認識しやすいが、自分の顔では主に局所的な情報を用いて認識する。
・自他の顔認識の仕組みは神経レベルでも異なる。
・自分の顔が認識できなくなる事象(病態)は稀。
といったように、自己の顔認識は顔の情報処理の中でも特殊らしい。
では、身体的特徴がほぼ同じ一卵性双生児では顔の認識はどうなっているのか?
自己顔認識と自己同一性(他者と区別された自分、一貫性を持つ自分像)形成を探るツールとしてユニークな集団といえる。
手法・参加者
(1) 参加者
10組の一卵性双生児(右利き、性別均等、健康)
Control: 上記双生児と日常的に親交のある友人、または、親戚(右利き、性別均等、健康)
人種、性別は揃えられている。
(2) 実験内容
実験は二日がかりで、初日に写真撮影、加工、二日目に双子とコントロール群にアンケート(自分、双子、友人の識別)をしてもらう。
写真は局所情報での識別ができないように、髭はそのまま、化粧は無しで撮られた。撮られた画像は顔面のみが楕円状に抜き取られ、白黒にし、周りは黒く塗りつぶされた。被験者から見て自分の写真は日常で見慣れているように鏡写しの状態で提供された。提供される画像はそれぞれの写真につき正立と倒立の2枚ずつで、計6枚見せられる。
要するにこんな感じ…と論文中の図を載せたかったが、肖像権云々に関わりそうなので、五等分の花嫁で代用。
(著作権云々で問題になったら図を撤去する予定…)

らいはは日常的に親交あるかは謎だがご容赦ください。
表示方法は以下の通り。最後の黒い画面3秒間の後にIDENTITYを答える。

クイズ形式の実験で、合計4セッション設けられた。各セッションでは14枚×6種類出題された。各セッション間に休憩あり。
(3) 実験前準備 ☆これ、本記事的に重要☆
実験前に各被験者にはアタッチメント(愛着)スタイルに関する質問40問(論文中ではASQと読んでいるが、項目や尺度がネット上のものとは異なるようだ)を解いてもらう。構成の妥当性・信頼性は保証済み。
他にも顔の類似度の評価や親近感の判断もしてもらったらしいが、内容がよく分からなかった。
結果
図を見てあらびっくり。
友人さんが双子を識別できなかったのは百歩譲って、双子も自分達を識別できていなかった。
(もっと厳密に言えば、どちらの場合も双子の識別における正答率に有意な差が見られなかった。)
また、正立顔では友人よりも双子の方が(有意に)識別ができたが、倒立顔では両者間の識別能に差は見られなかった。
ASQの項目のうち、「Preoccupation with Relationship」や「Relationship as Secondary」のスコアと識別能には負の相関があった。
つまり、不安定な愛着は自己顔認識の優位性の欠如を予測する因子となりうる(と主張しているが、これって周囲に興味を示さない分、自分に似た写真が与えられると自分と誤認するという解釈でいいのだろうか…)
中野家のアタッチメント的問題児
前置きが長くなったが、ここからが本題。
アタッチメントの定義からずれるかもしれないが、少なくとも識別能に問題があるのではないかと思わしき子とそのシーンを紹介していこう。
(1) 三玖の髪の分け方を把握していない一花
問題のシーンがこちら。


因みに、この反省があってか風太郎の取り合いでゲスの道を極めてしまった一花が三玖の変装をした時はちゃんと分け目も合っていた。(2期範囲)
(2) 二乃をドッペルゲンガーだと思い込む四葉
試験勉強で忙しい中、陸上部のお手伝いを断れないお人好しな四葉。
そんな四葉をみんなで救おうとするシーン。
二乃が急にショートになったから分からなくはないが…


(3) 五つ子の身体的特徴に気付けない五月
(2)と同じシーン。最初は五月が四葉の代役を務めた。
視聴者は当然分かっているが、この5人、髪の色と長さがもろ違う。



今回取り上げた論文で言えば、
「江場さんの方が他者への関心が強い」→「Controlなのに本人よりも四葉と五月の区別がつく」
という珍事。
※二乃と三玖には目立った問題は見つからなかった。姉妹愛のある二乃と成りすましを得意とする三玖はやはり流石であった。
印象が変わる程の解釈の改変
論文に基づき、上記3人が自己顔認識に苦しむ集団と仮定する。(あくまで仮定)
とはいえ、ここで問題となるのは一花である。
三玖の変装をして風太郎を騙そうとした悪女と言いたいところだが、一花推しの方々に潰されるので、主観的な言い方は避けよう。
この女狐(作中にこの表現はあるから大丈夫だろう)は最後まで一貫して三玖のふりをしようとしていたが、解釈の仕様により、悪性度が変わりうる。以下のシーンを認識した人物ごとに場合分けして考える。


Ⅰ 二乃or四葉or五月の場合
一花が三玖に変装していたことから、認識したIdentityが残りの3人の場合は対称性が保たれる。
解釈は漫画やアニメの呟きサイトのままだろう。
Ⅱ 三玖の場合
写真を見て三玖の変装を続行しようものなら、何がなんでも三玖を蹴落とそうという強い敵愾心が読み取れる。悪性度はかなり高い。
この解釈は正しくないことを願う。
Ⅲ 自分の場合
正直これが一番丸い。何もしなくても自分と風太郎がくっつけるだろうに、態々他人のふりするんだから、悪性度というよりドジという結論になるだろう。
ただし、この解釈が成立するには、彼女が記憶を書き換えられるほどに精神疾患を患っていなければならない。
女狐か?精神疾患か?解釈は皆さんに任せます。
(一花ファンの皆さん、本当にごめんなさい。悪気はないんです。)
まとめ
今回取り上げた論文は、「愛さえあれば自然とわかる」という『五等分の花嫁』の根幹を揺らがすようなものであるが、いざ漫画・アニメを振り返ってみると、五つ子が自他の認識に問題を抱えていると考えると辻褄が合わない箇所が見受けられ、論文の内容が通用しない世界観で描かれていると感じられた。
愛着と自他認識の相関性が多少見られたことから、「愛があれば自然とわかる」の妥当性は一部保証されたと考えるべきか。それにしても、この教えを受け継いだはずの当人たちがどのようなメカニズムで姉妹を見分けているのかについては議論の余地があるかもしれない。(特にスクランブルエッグの回)
矛盾のない範囲で考えるとすれば、下のシーン、議論が白熱して大変なことになるんだろうな〜



宣伝(?)
なんか、ついでにやっておかなくてはならない気がした…
5/20に『映画 五等分の花嫁∬』が公開されます!
是非とも劇場に足を運ぼう!
(3回目コロナワクチンと同じくらい義務感…)
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〜お知らせ〜
趣旨がめちゃくちゃというより、「めちゃくちゃ」を趣旨としてきたこのブログ。混沌とした記事を連ねるのもどうかと思ったので、主軸を考えました。内容は漢字で行く予定です。
計画としては漢検1級合格支援、時折準1級を交えながら記事を書き、行く末はオリジナル1級模試が公開できたらいいなぁと考えてます。
まずは僕が1級受かるところからスタートなんですけどね…
毎日奮闘してます。
因みに、元主将の星野も準1奮闘中です。応援よろしくお願いします。
まずは合格体験記載せられるよう努力しますので、気長にお待ち下さい。
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